| 第二十六話 インドの物乞い(2005.3.18) インドの物乞いのパワーは凄まじい。「1ルピー、1ルピー」と言いながらどこまでも付いてくるし、どこにでもいる。「1ルピー」と言えない輩は、手で何かを食べる振りをしてその手を差し出す。年齢は小さな子供から老人まで幅広い。 働きもせずに、ただ人に施して貰うのを仕事としている輩にお金をあげたくは無い。基本的に、物乞いには施しをしないというスタンスでここまできている。 基本的に物乞いには、相手にしないで立ち去るようにしているが、バスを待つ時間などちょっと暇な時にはかまったりもする。 ただ、小さな子供に対しては場合によって飴をあげる。 中には100ルピーというしたたかな子供もいる。「おまえ、100ルピーってどんだけの価値があるのか知ってるのかっ!」とビックリして大声で言ってしまった。すると、今度は50ルピーと言う。「あほか!」吐き捨てるように言うと、今度は10ルピーに。なんか、物乞い相手にディスカウントしているみたいで、アホらしくなってきてその後は無視する。 バス待ちをしているところに、物乞いのお婆ちゃんがやってきた。そのお婆ちゃんはしきりに「1ルピー、1ルピー」と人差し指を立ててアピールする。適当にあしらっているが、なかなか他に行かない。何度も人差し指を立てるので、友人がその人差し指を握ってみた。すると、お婆ちゃんは少女のような恥じらいの顔を見せて「いや〜ん」と肩を叩くではないか。どうやらインドでは、この人差し指を握るという行為は、結構恥ずかしいことらしい。肩を叩いたお婆ちゃんは、そのまま向こうにいる白人のところへ行ったがまたすぐに戻ってきて、私たちの前に座り込んだ。「お、お婆ちゃん、持久戦か」と思ったら、サリーの裾を突然たくし上げた。「うわ、ババアの・・・いや、お婆ちゃんの色仕掛け攻撃か」と思ったら、顕になった膝を撫でている。どうやら、膝があまり曲げることが出来ないということを、アピールしているらしかった。そんなやり取りを、笑顔でしていると面白い。いつも敬遠するばかりではなく、たまには楽しく受け答えるのも人間味があっていい。 バスを待っていると、5歳くらいの男の子が「5ルピー、5ルピー」と言って擦り寄ってきた。「あげないよ、ないよ」というが、しつこく言い寄る。まだバスが来る様子もないので、しかたなく飴をあげて追っ払おうとする。しかし、その子は、飴を受け取らないで首を振り「5ルピー、5ルピー」という。どんなことであれ、自分のやっていることにプライドを持っている奴はカッコイイと、ちょっと感心した。しかし、お金を施す気は毛頭ない。「じゃあ、キャンディーいらないんだね」と、もう一度その子の顔の前に差し出すが、やはり受け取らない。それならとポケットにしまい、「もう、何もあげないよ」と何度も繰り返す。そうこうしているうちにバスがやってきた。身支度を始めると、突然その子が私のポケットを指差して手を口にもっていった。さっきまでお金、お金って言ってたのにやっぱり子供だなと、と〜〜〜〜〜っても大人気ない優越感を感じてしまう自分がいた。 私を見かけたおばちゃんは、すぐに子供ミサイルを発射した。子供ミサイルを発射する瞬間に、そのおばちゃんと目が合った。おばちゃんは照れくさそうに笑って、第二、第三の子供ミサイルを発射してきた。 自分のやってることを弁護するわけではないが、インドの物乞いの大半は、物乞いを職業としているのが現実である。(少数ではあるが、本当に物乞いか、盗人になるしか生きていけない人がいるのも事実ではあるが・・・)物乞いを職業としている人たちは仕事が無いのではなく、仕事はあるが、その仕事をするより物乞いをした方が稼ぎがいいからである。その人たちの仕事の日当は数ルピーであるのに対し、物乞いをすれば少なくても数十ルピー〜数百ルピーも稼げることもある。人間楽して金が稼げるのなら、そちらの方向へ行ってしまっても不思議はない。聞いた話では、生まれて間もない赤ん坊の手や足を切り落とす親もいるらしい。何故って?答えは簡単、手や足が無いほうが沢山お金を恵んで貰えるからだ。 また、親は子供を金儲けの道具としか思っていない輩も多い。それは、物乞いに来る子供が、しつこければしつこい程、汚ければ汚い程よくわかる。何故って?お金を持ってこないと怒られるからである。そういう子供の親は遠くで綺麗なグリーンか、青のサリーを着ていたりする。子供に物乞いをやらせて、自分は高みの見物。子供には汚い身なりをさせて、自分は綺麗なサリーを纏う。子供は痩せているのに、自分はプックリしている。 「人からお金を恵んで貰う事を教えるより、お金は自分で働いて稼ぐってことの方がとても尊いことなんだってことを教えろよ」と言いたい。しかしそれは、生活習慣の違うインドでは難しいのだろうか。 今現在、仕事もしていない私が偉そうなことを書いてしまったが、本気でそう思う。安易に物乞いに施しをしている人たちもいるが、施しをすることが本当にいいことなのかどうなのか。しかしだからといって、施しをしない方がいいということにはならないのだろうが・・・とても難しい問題だからこそ、自分なりの考えを持って行動していきたい。 第二十五話 インド・バスの旅(2005.3.18) 「危ない!!」対向車のトラックをギリギリでかわし、バスはフルスピードで進んで行く。今度は、見通しの悪いカーブだ!クラクションを鳴らしっぱなしで曲がっていく。勿論、減速などしない。 次の追越しは同じバスだ。うぉ、対向車がそこまで来ているのに追越しをかけるのか!「無理だ、絶対無理。無謀だよ、運ちゃん!」と呟くが、運ちゃんにはとどく筈も無い。案の定、追越している間に対向車のトラックが目の前に。 インドの田舎道の道幅は、4〜5m程の中央線の無い舗装道路(たまにガタガタ道)で、両脇に歩道用なのか1,5〜2m程の未舗装の路肩がある。なので、こちらが追越しをしていても、相手が路肩に避けて走ってくれれば怖い思いもせずに済むのだが・・・それはインドでは出来ない。何故なら、インドでは避けたほうが「負け」だからだ。どんなに危ない状態になっても「対向車に道を譲らない、スピードをゆるめない」のがインドの主義のようだ。 とっても強引(マジで進路妨害の接触寸前)にバスの前に割り込む。無理に割込みされたバスも黙ってはいない。さあ、次はローカルバス同士の熾烈なカーチェイスの始まりだ。抜きつ抜かれつのデットヒート。どんなにガタガタ道であろうと、バトルは続く。時たま道の悪さに、乗客全員が飛び跳ねていようとお構い無しだ。ついに、相手のバスが停留所に止まる為に減速した。その横をすり抜けて行く瞬間、口髭をピクッと動かして不適にニヤッと運ちゃんが笑う。うわっ、こいつ絶対、満足感に浸ってやがる! 気持ちのよい直線道路で、また運ちゃんが追越しをかけた。今度は3台抜きだ!対向車には結構遠くだがトラックが見える。「このバスのスピードで3台抜きは無理だって!」案の定、2台目を抜かした時点でトラックが目の前に。しかし、追い抜かれたトラックは、割込み出来ないようにピッタリと前のトラックに張り付いている。 さあ、我々のバスと対向車のトラックとのチキンレースの始まりだ。バスには割り込める場所が無い。ブレーキを踏んでもとの場所に戻るか、相手のトラックが道を譲るかのどちらかだ。しかし、ブレーキを踏んだら「負け」であるし、道を譲っても「負け」だ。緊迫したチキンレース。しかし、我々の運ちゃんにブレーキを踏む意思は無いらしい。必死にクラクションを鳴らし続けているのが、何よりの証拠だ。こめかみに一筋の汗を垂らしながら、必死の形相でトラックを睨みつける。 ギリギリのところで、トラックの運ちゃんが路肩に避けた。砂煙を上げながら走っていくトラックを横目で見ながら、また、あの口髭をピクッっと動かした不適な笑みを浮かべる。うわっ、こいつ絶対にこのスリルを楽しんでやがる! オートバイとのチキンレースもしばしば行われる。真正面から向かってくるバスに対しオートバイは、まだ余裕のある時はパッシングを「チカッ、チカッ」位で牽制する。しかし、かなりやばくなってくると、パッシングしっぱなしのクラクション鳴らしっぱなしで突進してくる。もちろんスピードは落とさない。そして、本当にやばい時は路肩にエスケイプするが、エスケイプした後、殆どのオートバイが止まってバスを睨み付ける。また、少しでも通れそうであれば、そのスペースへバスと接触しそうになりながらも、突っ込んで走り去って行くのである。ある意味凄いが、それは勇気と違うぞこの「アホインド人!」 インド人は何でも目一杯が好きだ。ホテルのクーラーなんて、凍えて鼻水が出るほどだし、乗り合いジープには20人位平気で乗せる。ウォークマンなんて、鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらいフルボリュームで聴いている。だからバスなら、常にアクセルは目一杯踏みっぱなしだし、離すときは止まる時だけ。見通しが悪く片側が崖のカーブだろが、クラクションを鳴らしっぱなしで曲がるだけ。子供や老人がいたって、お構いなしでクラクションを鳴らしながら走っていく。例外は「牛」だけだ。「御牛様」が道を塞いでいる時は、退くまで待っている。「御牛様」を強引に退かしたりはしない。ただし、クラクションは鳴らしっぱなしだが・・・まったく「加減を知れよ、インド人」 私も、免許取りたての頃は法廷速度を守った事も無いし、強引な追越しや割り込みもした。しかし、それは「インド人」に比べれば可愛いもんである。「もっと安全に譲り合いの心で運転しようぜ」と呟いた瞬間、ふとあることに気がついた。もしかして、このような考えの私は、すでにインドでは「負け犬のチキンヤロー」なのか。何故かインド人に笑われてる気がした。 「ああ、負け犬のチキンヤローで結構!安全第一だーーー!!」と、苦笑いしながら顔を上げると、バスの運ちゃんの目は次の獲物(ターゲット)を捕らえていた。 バスの旅は続く・・・ 第二十四話 チベット(2005.3.7) チベット、そこは秘境の地と呼ばれる。荒涼とした大地に、草木の無い褐色の山々。どこまでも続く、とても濃い青色の空。吸い込まれそうなくらい美しく、どこか寂しげな湖。そして、冬になれば凍り、遅い春の訪れと共に流れ出す川。そこには、人間や動物が入ってくるのを拒むかのような、非常に厳しく、それでいてとても美しい世界があった。 生涯忘れることのない、あの神が宿るいう神秘的な輝きのヤムドク湖。険しい峠を越えて、初めてその勇姿を見せたエベレスト。そして、日本では見たことが無い、あの重厚な青空と燃えるような、いや、空を燃やしていた夕日。ラサからネパールまで陸路で抜けていく間中、興奮と感動の連続だった。 「チベットの奥の方に行けば、もっと綺麗な湖もあるし、もっと感動的な風景がいっぱいあるよ」と、同乗していた女の子が感動している私達に話しかける。 このヤムドク湖でさえ、美しい田尻湖や神秘的な摩周湖を凌いでいるのに、更に美しい湖とは・・・それに、これよりもっと感動的な風景ってどんなんだろう。チベットに対する興味は益々湧いた。そして、駈け足で通り過ぎることを選んでしまった後悔が、また来ようと思う気持ちを更に強くした。 ラサはチベットの中では、特異な都市だろう。そこは中国人民が、強引に観光地化させた都市としての側面を色濃く出したところだ。私がラサにいた短い間でさえ、チベタン(チベット人)と人民とのいざかいを何回か見た。チベタンにとって人民は、自分の国を奪った憎むべき相手なのだろう。 チベタンは、見るからに屈強そうな肉体を持っている。事実、ネパール傭兵部隊のグルカ兵の多くがチベタン系の民族である。その屈強な肉体と、誇り高い精神をもつチベタンとしては、人民に対する嫌悪感は当然のことだろう。 そのラサの感想を少々・・・ 全てのチベタンから漂ってくる「バター茶」の匂い。ラサでチベット名物の「バター茶」を飲んでみる。不味かった。 チベタンの殆どが回している「マニ車」(デンデン太鼓みたいな感じで、太鼓の部分がクルクル回るようになっているもの。中に経典が入っていて、一週回せばその経典を一回唱えたことになる)を土産物屋で回してみる。面白かったが買わなかった。 ラサでは、着ている人がカッコよく見えた「ノースフェイスの偽物」を買ってみる。日本で着たら野暮ったかった。 美味しいヤクバーガーの店を一時間ほど探してみる。ラーメン屋になっていた。 鳥葬を見たかったが、イギリス人と人民のせいで(とてもマナーが悪かったので)見れなくなっていた。残念。 チベットで一番権威のあるジョカン寺に行ってみる。バター茶臭かった。 高い金(約1500円)払って世界遺産の「ポタラ宮」に行ってみる。1000部屋あるうちの20部屋位しか見れなかった。セコイぞ人民!! 2008年の北京オリンピックまでには、ラサへ列車で行ける様になるらしい。それに伴い超高いパーミット(外国人への嫌がらせのような入域料。10000円以上)も廃止されると言う。秘境だったチベットが更に身近になる。 第二十二話 中国で考えた その@(2004.10.23) 朝、目が覚めると身体が異常にだるい。頭も「モヤ〜っと」していて、遠くでドラが「グワ〜ン」と鳴っているような感覚。い、いかん。ぶり返したかも・・・ 三日前に出た熱は、日本から持ってきた抗生物質と、同じ宿に泊まっている柿本さんから貰った日本製の風邪薬で、大分良くなっていたのだが・・・。 柿本さんから貰った風邪薬は1日分しかなく、昨日の昼間に飲んでもうない。しかし、この「いつまでも出続ける咳」を止めないと、寝ることも出来ない。仕方なく、うたに「咳止め」を買って来てくれるように頼む。すると、宿の女主人から何だか分からないが薬を貰ってきたので、その薬を3種類7粒程飲込み、もう一度ベッドに入る。すると、薬の中に咳止めがあったのか、咳が少し落ち着いたので、少し眠る。 次に目が覚めたのは昼前だった。今度の目覚めは朝より最悪だった。目が覚めたのに、そこが夢なのか現実なのかよく分からず、頭が「グニュグニュのグルングルン」状態。しかし、全身、特に間接がひどく痛むので、きっと自分は今、目が覚めたのだろうと思った。 ここまで来ると、身体は熱で溶かされている「蝋(ロウ)」のような状態。枕元にある体温計を取り、熱を測るのにもかなりの時間を費やした。『熱が38,6度を越していたら病院へ行こう』熱を測っている最中ぼんやりと、しかし固く自分に言い聞かした。もう、三日間も熱が引かないでいたが、保険が切れていたのと、元来、「病は気から」を信条に生きてきたため、病院に行くのを躊躇っていた。そのツケが今、回ってきたのである。 体温計を見てみたら、な、なんと「39,7度」もある。『おお、今までの最高記録が出た』と内心ちょっと嬉しかったが、取り合えず病院に行かなくては、と思った。幸いに、うたがいつのまにか傍にいてくれていたので、「病院に行く」と言って、ゆっくりと準備を一緒に始めた。 さて、宿から病院に行くには一度大通に出て、タクシーを拾わなければならない。だが、宿から大通に出るには、迷路のような小路を1km程歩かなくてはならなかった。うたもここ「麗江」が「迷路の町」というのを身をもって知っていて、私が準備をしている最中、うたは病院の行き方等を聞いていた。だが、途中まで来て不安になったのか「ちょっとここで待ってて」と言い残し、大通を探しに行ってしまった。 1人残された私は、最初腰を下ろして休んでいたが、そのうち座っているのも苦痛になり、横になりたいと思った。『この石畳の上に寝たら冷たくて気持ちいいだろうな』そんな欲求が湧いてきた。 横になろうかと、ふと左側を見てみると、なんと横になったら丁度頭にあたりそうな部分に「痰」がある。しかも、肩に当たる部分には、細かく噛み砕かれた「鳥の骨」が落ちている。それではと、右を見てみると「痰」が「ドレミファソラシド」のようにキレイに落ちている。 『そうだ、ここは中国だった』『ここで横になったら中国に負けてしまう』そんなふうに思い、耐えた。 なんとか折れそうになる「心」を、ギリギリのところで支え続けていたが、『もう、どうでもいいや』と言う考えがよぎった瞬間、その支えは折れてしまった。『もう寝てしまおう、楽になりたい』そう思って左側を見たら、幸か不幸か、遠くにうたの姿が見えた。 よろよろと立ち上がり、ゆっくりと休みながらやっと大通まできた。タクシーが沢山走ってる!うたがすぐにタクシーを止めようとするが、全然停まってくれない。そのうち、「公安(中国の警察)」が出てきて「ここでタクシーを拾ってはいけない」と言うようなことを、鬼のような形相で捲くし立てる。警察は、どこの国に行っても庶民の味方ではないらしい。 仕方なく、大通に沿いながら右の方に歩いていき、警察が見えなくなったところで腰を下ろし、うたがタクシーを拾ってくれるのを待つ。 すると、すぐにあの『横になりたい、楽になりたい』という欲求が、強く出てくる。『ああ、ここの歩道のど真ん中に寝たら楽になれるかも』そんなことを考えた瞬間、「タクシーが捕まった」と大声でうたに呼ばれる。フラフラと道路を横切り、タクシーに乗り込んで病院を目指す。 病院に着き、先にタクシーを降ろされた私は、よろよろと受付らしいところに歩いていくが、そこには誰もいない。『なんなんだここは・・・』倒れそうになりながらも、呆然と立ちつくしていると、後ろからうたが「こっちだよ」を私を追い抜いていった。『おお、頼もしい』と思い、私もその後をよろよろと付いて行った。 急患用の診察室のような部屋の前に行き、看護婦らしき人に聞くと、ここの前で座って待てとのこと。 しばらく待っていたが、一向に医者の来る気配がない。もう一度うたが聞きに行くと、看護婦が大声で医者を呼んだ。すると廊下の向うから医者が現れ、診察室に入っていった。『やっと来た』と思い、診察室に入り問診用の椅子に座ろうとすると、いきなり中国人のおばはんに、椅子取りゲームのごとく凄まじい勢いで、椅子を奪い取られた。 そのおばはん、椅子に座るなりいきなり机に頭を伏して、何事か「うが〜うが〜」唸り(叫び?)始める。それに呼応するかのように、親族と思われる人たち4人程が周りをガードし、医者と何か喋り出している。 狭い診察室に私たちが居るスペースも無く、押し出されるように元の待合用の椅子へ逆戻り。 『なんなんだ、この中国ってとこは!!』『病院も割り込みOKかよ!!!!』 「グニュグニュのグルングルン」の意識の中怒りを覚えたが、身体の方がだるくて、すぐに怒りはどこかにいってしまった。それから20分程待っただろうか、「どうぞ」と日本語が聞こえる。 ん?ついに幻聴か?それともこのギリギリの状況下で、一気に中国語に目覚めたのだろうか・・・? しかし、それは幻聴でも、残念なことに開花したわけでもなく、れっきとした日本語だった。その日本語を喋ったのは「楊さん」という、ガイドの男の人だった。「楊さん」も前日熱が出たらしく、彼女と一緒に病院に来ていたらしいのだ。 「楊さん」に促され、問診用の椅子に腰掛けると、今度は若い女が私と医者の間に入って何か話し始める。『椅子を奪えなければ、そんな戦法でくるのか・・・』なかば呆れてしまったが、ここでメゲてはいけないと、先ほどの待ち時間の間に書いておいた、ここ三日間の体温や病状を記したノートを、負けじと医者の前に出す。 しかし、医者も慣れたもので、チラッと見たが意に介した様子もなく、その女と話をしている。『ここで負けてなるものか!』と、さらにしつこく、空港で人待ちをしている人たちのプラカードの如く、ノートを振りかざす。さすがにそこまでされては医者も無視できないらしく、「どうしたんですか?」(楊さんの翻訳付き)と聞いてきた。 『だから熱があるって、ここにデカデカと書いてあるだろう!』と叫びたかったが、普通に「熱が39度あります」と告げた。すると、まぁ当たり前のことだが体温計を渡され、それで熱を測りなさいという。その後は、医者も他の中国人患者と話をしたりカルテを書いたりと大忙しの様子だった。 渡された体温計を脇に入れ、ふと部屋の右側を見ると、さっきの「うが〜うが〜」騒いでいたおばはんが、ケロッとした顔で診察用のベッドの上に座っている。 『やっぱり芝居だったんだ・・・』そのおばはん、私と目が合うとゆっくりとベッドから下りて、何事もなかったかのように、ごく普通に歩いて出て行った。ここまでくると、なにか、憎らしさを通り越して滑稽に思えた。 さて、体温計を入れてから10分経つが、まだ医者からお呼びがかからない。『忘れられているのでは』と思い、体温計を抜く素振りをかなり大袈裟にしてみる。すると、医者も気づいたのか「まだだ」(翻訳付き)の一言。 それから10分程してようやく声がかかった。『おいおい、中国の体温計は体温を計るのに20分もかかるのかよっ!』と、毒づいてみたかったが、心象を悪くしてはいけないと思い、その言葉を飲み込んだ。 体温計を医者に渡すと「うをっ」という医者の驚きの声。 医者 「おまえ体温が39,4度もあるじゃないか」(翻訳付き) 私 「はい、とても身体がダルイです」 『だ〜か〜ら〜、さっきから何度もそう言ってるし、ノートにもデカデカと書いてあるだろっっ!』 医者 「大丈夫なのか?」(翻訳付き) 私 「いや、だからかなり身体がダルイです。他の症状はこのノートを見てください」 『大丈夫じゃないから来てんだろうがっっっ!しかも、ノート見てねえのかよっっ!!(`∇´)ノ』 医者 (ノートを見ながら)「この体温は誰が測ったんだね?」(翻訳付き) 私 「自分で測りました」 『中国じゃ、自分で体温も測れないのかぃ!』 医者 「どこで測ったんだね?」(翻訳付き) 私 「宿泊している宿です」 『宿に決まっているだろう!歩きながら測るかいっっ!』 医者 (39,7度の文字を指しながら)「何時測ったんだ?」 私 「昼です」 『その39,7度の上に、デカデカと「昼」って書いてあるのが分からんのかっっっ!』 その後、「痰は出るか?」とか「下痢は?」とかこまごましたことを聞かれ、取り合えず血液検査と、レントゲンを撮ることになった。検査する所は違う場所にあるらしい。「楊さん」(既に私専属の日本語兼病院のガイドになってしまっている)に連れられ、長い廊下を突当りまで歩き、さらに短い廊下の向こう側にあるロビーの椅子でちょっと待っててくれという。しばらく待っていると、「楊さん」とうたが戻ってきて、「こっちです」と歩き始める。また、廊下を歩いていくと外に出た。そう、検査する場所は別棟だったのだ。 第二十一話 中国で考えた そのA(2004.10.24) 別棟の階段をよろよろ登り、二階にある血液検査室まで来た。そこで、ちょっと待っていると、奥からタバコを銜えたまま白衣を着ながら医者(?)らしき者がやってくる。その医者(?)は、白衣を着るとタバコをその辺のゴミ箱に捨て、手を洗ってから「こっちにこい」と手招きされる。その医者(?)の前に座り腕を出すと、慣れた手つきで採血を始めた。採血はすぐに終わった。刺した針は焼いて専用のゴミ箱に捨てている。『おお、SARSのおかげか、日本よりちゃんとしてるかも』と、ちょっぴり感心した。7、8分待っていると検査結果が出てきたので、その検査結果を持って今度はレントゲン室へ。 レントゲン室は一階にあった。また、ふらふらと階段を下り、長い廊下の突当りの手前まで歩いた。そのレントゲン室の前で、さっきから中国人がうろうろしてる。「楊さん」が訪ねると「医者が居ない」といらいらしながら吐き捨てていた。『ああ、やっぱり中国だな。一筋縄ではいかない』そう思いながら、目の前にあった椅子に腰掛けた。 しばらく待ったが、医者が来る気配が全くないので「楊さん」が「ちょっと診察を受けに行ってきます」と申し出た。『そうだった。楊さんも病人だったんだ・・・』そんなことに今更気づき、自分のことだけで精一杯だった自分を恥じた。 すぐに「どうぞ」と言いお礼の言葉も忘れずに付け加えた。すると「楊さん」は「終わったら、また戻ってきます」と付け加えて去っていった。 『なんていい人なんだ』涙が潤んできたが、それが感謝の気持ちなのか、熱のせいなのかよく分からなかった。 それから10分程待っただろうか・・・。身体が限界までだるくなってきたので、うたに「レントゲンは止めて、このまま診察室に戻ろう。血液検査だけで大丈夫でしょ。」と訴えると、うたは「お金払っちゃたし、勿体無いから受けとこうよ。その方が安心でしょ。」と言う。確かにその方が安心だ。だが、検査代はたかが25元。日本円にして350円程。お金が勿体無いか、自分の命が削られていく方が勿体無いか、考えたが、考えることがとても億劫になり、考えることすら止めた。 それから20分程して、やっと医者が来た。すぐに部屋に入らねばと、医者に続いて入っていこうとしたら、なんと、その医者までもを押しのけて、中国人の男性が入っていった。そして、私の後ろから両脇を親族に抱えられて、おばちゃんが入ってきた。『またか』と思い、しょうがないからその部屋から出て行こうとすると、なんと、そのお医者様は「ここに座ってなさい」(勝手に解釈)と言うではないか。『なんていい人なんだ』と思いながら診察表を渡し、そこで待つことに。 両脇に抱えられたおばちゃんが、奥のレントゲン室に入ってから5分程過ぎた頃だろうか。今度は若い女が入ってきて、自分の診察表を一番上に置いた。『やっぱり中国だ。ここまで節操が無いと、情けないな』と思った。だが、そのままにしておいたら順番がまた遅くなってしまうと思い、診察表を入れ替えようかと思ったが、もうそこまで行く気力も体力も無く、『もう、いいや』と諦めの境地に入っていった。 おばちゃんの撮影が終わったらしく、医者が診察表のところにいった。医者は、私の上に置かれていた診察表を一番下に回し、名前を呼ぼうとした。しかし、「村・・ぷっ・・・」何故か吹き出している。何度か自分の名前を言ったり書いたりして、笑われた経験があるので、すぐに自分のことだと分かった。すぐに医者のとこに行き、自分をアピールすると「レントゲン室に入れ」と言う。レントゲン室に入ると、さっきのおばちゃんの親族が、おばちゃんに靴を履かせ、レントゲン用のベッドから丁度下ろそうとしているとこだった。そのおばちゃんは、入ってきたときと同様、親族に両脇を抱えられて部屋を出て行った。 今度は、私がその固いベッドの上に靴を脱いで横たわった。アルミ(?)のベッドとはいえ、やっと横になれたのである。『横になると、こんなにも身体が楽になるなんて!』気だるい意識の中、ちょっとした至福の一時を味わった。 しかし、それは長く続かなかった。 すぐに医者が来て、ベッドから起きろという。どうやら私は、ベッドの脇にある、立って胸だけを撮る機械で撮影るらしかった。だるい身体を起こし、ふらふらとその機械に胸を付けると、医者に、手は「前へならえ」の先頭のポーズをとらされる。その状態のまま、1分待つが、何の反応もない。2分待つが、後ろで話し声がするだけ。3分後には足がガクガク、ふらふらしてきた。『もう駄目だ。倒れるかも知れない』と思ったら丁度撮影が終わった。それから医者に「レントゲンが出来るまで一時間待って」と言われたので、部屋の外で待つことに。 レントゲンを撮った後はさらに最悪だった。もう、座っていることも苦痛で、すぐにでも横になりたかったので、人目もはばからず、20分程ベンチで横になる。すると、ばたばたと人が動き始めたのでちゃんと座り直すと、な、なんと、目の前をレントゲン室では両脇を抱えられていた、あのおばちゃんが、自分のレントゲンを片手に、まるで幼稚園の園児並の足の軽やかさで歩いていくではないか。『ああ、おばちゃん、おまえもか!』 でも、おばちゃんがの出来たということなら、私のも出来てるかもと思い、うたに見に行ってもらうが、私のはまだのようだった。それからさらに10分後、私の後に撮影した男性が、レントゲンを持って歩いていく。『私のも、もう出来ただろう』もう一度うたに見に行ってもらうが、まだとのこと。『何故だ?そんなに悪いのか?』嫌な考えもよぎったが、待つしかない。 それから更に15分が過ぎた頃、今度はあの若い女がレントゲンを持っている。『さすがに、もう出来ているだろう』もう一回うたに見に行ってもらう。しかし、何やら受け取りのところで押し問答をしている。『おお、ついにうたにも押しの精神が宿ったのか!?』と半分嬉しくも頼もしいと思い、うたが来るまで待とうと思った。しかし、5分してもまだ何やら話したり、あっち行ったりしている。『何してるんだろう?』10分程して、レントゲン写真ではなく、カルテの紙一枚を持ってうたが戻ってきた。 そのカルテをみると、日本人でも分かるようにデカデカと「異常無」と書かれてあった。。。 『なんじゃそりゃ!!!』そんなもののために一時間も辛い思いをして待っていたのか・・・。どうやって自分を励ませばいいんだ。いや、何もなかったのだから、良かったのではないか。そんなことを自問自答しながら、診察室に向かった。 診察室には待ちの患者もおらず、すぐに入ることが出来た。さっきの検査結果の紙を医者に渡すと、医者は私たちの持っていた中国語/日本語の本を覗き込むと、ある病名を指差した。その病名は「風邪」。 はぁ、、、、もう、何も考えられなかった。あの検査はなんだったのか、あんなに辛い思いをして待っていたことは・・・。いや、もうどうでもいい。どうでもいいことだ。それよりも、これでやっと楽になれる。 医者は、その後注射と点滴をするからと身振り手振りで教えてくれた。それで、「注射と点滴はどこで受けるのか」と聞いたら、うたについて来いと言って、医者とうたは一緒に出て行った。私は診察室の前にまた座らされ、待つことに。 10分程してうたが戻ってきた。手に薬品など色々持っている。聞くと中国では何をするにも先払いで、その領収書を見せて初めて薬やら何やらをくれるとのこと。そうだったのか。私の知らないところで、うたもがんばっていたんだ・・・。無言でうたに感謝した。 まず、注射を打つことに。待っていた場所のすぐ横の部屋に入り、バーカウンターの椅子ほどもある高さの木の椅子に座らされた。すると、ぶっとい注射を持ったおばちゃん看護婦が、尻を出せという。この椅子に座ったまま尻を出すのは至難の業。どうやって出せばいいんだろう。まさか、この椅子に手をかけて、モンローバリのセクシーポーズをここで取れというのか。取ってもいいが、こんなにギャラリーがいる前で私のきたない尻を披露するには、かなり恥ずかしい。もじもじしていると、おばちゃん看護婦が、座ったままズボンを少し下ろせばいいことを教えてくれる。 教えられたとおり、少しズボンをずらしたら、待ってましたとばかりにぶっとい注射をフォークの様に握り締め、私の尻に突き刺した。(もちろん消毒後)この注射がかなり痛い。筋肉注射だが、いくらお尻といえど、あれだけの液体が一気に入るわけもなく、半分ほど入ったところでおばちゃん看護婦はグリグリと、ピストン部分を押し始めた。グリグリされると、それにつられ針のほうもグリグリなり、とても痛い。思わずうめき声が出る。それに気づいたおばちゃん看護婦が、銀歯の眩しい笑顔を「ニヤッ」とプレゼントしてくれた。しかし、若いキュートな看護婦の眩しい笑顔ならまだしも、おばちゃん看護婦の銀歯の眩しい笑顔では、申し訳ないが何の効果もなく、最後まで呻いてしまった。 次は点滴の番である。しかし、今から点滴を作るらしく少し外の椅子で待っててくれと言う。だが、先ほど打たれた注射はかなり痛く、「ビッコを引かなくては歩けない」という後遺症をすでに残してくれていた。この尻の痛みと、今の身体の状態、天秤にかけて見たら僅かに尻の痛みの方が勝り、立って待つことにした。 点滴溶剤は意外と早くできた。看護婦に案内され、点滴を受ける部屋に向かう。点滴の部屋はベッドが三つあり、一番奥が丁度今点滴を終えたおばさんのベッド。真ん中が空いており、手前は高見盛なみの巨体の男(しかも人相悪すぎ)。空いているベッドに潜り込むと、すぐに看護婦が点滴の準備を始める。しかし、点滴のビンを見て驚いた。点滴初体験だったので、あんなに大きな(一つは500mlのペットボトル並。もう一つはコーラの350mlの缶並)のを2つも体内に流し込んで大丈夫なのか不安になった。しかし、隣を見ると、ほぼ同じ大きさの点滴を打っているみたいだったので、ちょっと安心する。 点滴が始ると、今度はその速さに不安になる。隣の人より4倍位早いのだ。隣はあの高見盛。こちらはただのガリガリ坊や。どう考えても、おかしい。逆なら分かるが・・・。不安でどうしても気になり、ついにうたに聞いてみる。すると、「早く終わりたい人は自分でもっと早くしてしまう」とのこと。『そういうもんなのか』と思って心を落ち着けて目を閉じた。 しばらくすると「大丈夫ですか?」と聞き覚えのある声。そう、「楊さん」が病室に来てくれたのだ。自分の診察も終わり、彼女が違う部屋で点滴を受けているので、様子を見に来てくれたのだ。 丁寧に礼を述べると、「楊さん」は名刺を差し出し、「今日から3日間は休みなので、もし、困ったことがあれば連絡を下さい」と言う。『なんていい人なんだ!』さらに重ねて礼を述べると、「楊さんは」彼女のもとにビッコを引いて帰って行った。 しかし、自分だけではなく彼女も病気だったとは・・・。しかも彼女は今、点滴を打っている。そんな状態で私に付き合ってくれていたのか・・・。本当に頭が下がった。 うたが帰って来るなり「楊さんも同じ注射を打たれたんだって。ずっとビッコ引きながら廊下を歩いてたよ」と言った。何故かいたたまれない気持ちになった。 しばらくすると一本目の点滴が無くなって来た。もう、不安で仕方がない。「空気を注射すると死ぬ」という、つまらないことを知っていたので、ドキドキである。点滴が無くなったらどうすればいいかうたに聞いたら、「ナースコールをすればいい」とのこと。 上のビンの液体が無くなったところで「ナースコール」を押す。しかし、何の反応も無い。もう一度押す。何も起こらない。もう点滴だまりの液も無くなり、空気が少しずつ近づいてくる。うたは「大丈夫だよ」と言うが、不安は消えない。 しかし、うたがぽつんとこんなことを言った。「点滴無くなったままほっといたら、血が逆流するかも」 『うおぉ』久々の小悪魔的発言!不安は恐怖に変わり、うたに看護婦を呼んできてもらう。点滴が変わったのは、あと20cm程で空気が入いろうかというところだった。 ほっとしたところで、自分のチキン加減に自然と笑えて来た。リラックスできたのか、その後軽く寝る。 次に目が覚めたときには、そこに「楊さん」と「彼女」が立っていた。「彼女の点滴が終わったので、先に帰ります。困ったことがあればすぐに電話を下さいね。」と言って帰って行った。 『なんて律儀な人たちなんだろう』その礼儀正しさと優しさに、本当に感謝した。 点滴も終わり、起き上がろうとするが、身体がだるい。あまり症状が変わってないようだ・・・。熱も全く引いてないし・・・。不安になり医者の元へ。 そのことを告げると「大丈夫だ。明日また来い」という。その時には、幾分かは身体が軽くなっている気がしたので、タクシーを捕まえて帰ることにした。 その帰りのタクシーの中、気だるい気分がタクシーの揺れと重なって、私にこんなことを考えさせた。 中国はいつでもどこでも「自分主義」で、「人のことなんかお構いなし」、という人種と、「自分のことよりも、他人を優先してくれる心優しい人」と、両極端な人種が2種類いる。いや、人種と言うより、もしかしたら、その人自身の二面性なのかもしれない。別の人種というより、1人の人間が、両方の顔を持っているのではないのだろうか。 ただ、間違い無く言えることは、自分が望まなくても、自分がどんな状態でも、周りがどんな状況でも、また、どんな場所でも、そこが中国である限り、いや、中国人がいる限り、「心温まる親切」と「呆れるほどの利己主義」は、同時に向うからやってきて、過ぎ去っていくんだなぁ・・・・と。 |